ブログを執筆するとき、毎回いろいろ考えてしまう。そもそも何故ブログを書いているのかとか、そもそも書く意味とか、皆んな何を思って書いているのかとか、そんなこと考えているうちに書くのをやめてしまう。
アーカイブとしての執筆が好きだ。その時感じたことを備忘録として書き留める。将来迷ったときや困ったときに、過去との比較やアイデア出しなどに使える。
発信としての執筆はどこか手を止めてしまうところがある。誰かに何かを伝えたくて書くわけだが、「誰か」や「何か」を考えると手が止まる。だから発信としての表現行為をする際はいつも対象の抽象度を落としてその対象の受け方を想像する。
発信型は言葉を選ぶ。ここでもいちいち手が止まる。こう表現すれば、このように受け取る。みたいな言葉遊びの連続。しっくりくるものが訪れるまで繰り返される。
デザインでも同じような感覚がよく起こる。土地の歴史や風土、気候、人、機能、将来のあり方、法律、構造、設備、工法、様々な情報が交錯する中にアイデアというピースがぴったりと嵌る瞬間がある。それは確信となり物質化への道を歩むことになる。それでも我々は疑問を抱かずにはいられない。
一本の線、一つの文字、それらが持つ力は強大である。複数の線や文字が連なり意味が生じた時、その影響力は現実世界にまで及んでくる。
我々は表現者である故に表現することをおそれる。表現することをおそれるからこそ、確信を持って筆を走らせるのである。