
旅行することの意味をたまに考える。暇があれば旅行をしている。それもあってか周りの人から何度も旅行に出掛ける理由を問われることもある。明確な回答はない。明確ではないが、間違ってはいないだろう回答を取り敢えず伝える。美味しいものを食べる為とか温泉に入る為とか、理由はいろいろある。今の環境に対する飽き(マンネリ)を解消する為、というのもある。人はなぜ今の環境から一時的にも離れようとしたがるのだろうか。環境を変えることで精神のバランスが保たれることもある。もちろん全員ではないだろうが、少なくとも私の周りは旅行好きで溢れている。
一般的に、いろんな場面で趣味の話をすることはよくあると思う。特にこれといった趣味の無い私は、よく「旅行」と答えているのだが、基本的に8割は建築の話になるのでこれといって話題が拡がることはない。残りの2割は、その土地の料理や温泉や工芸品などだろう。建築業界の人以外の人と話をすると逆だろっと突っ込まれる。

学生によく聞かれる質問がある。就職(卒業)する前に何をした方が良いですか、という類のものだ。当然のように私は旅行と答える。そして、約3割の学生はなぜですかと聞いてくる。
建築設計は一つの表現行為でもあり、公的な場に新たな物体を創造するからには非常に社会的である。だからこそ、空間において「知らない」という感覚は非常に新鮮であり恐怖でもある。一度、ある土地に建築が現れれば、そのプロジェクトに関わらない人までもが知らぬ間に関わりをもつ。景観さえ変化させる。多種多様な人々が行き交い、通りすがり、あるいは利用し、あるいは鑑賞する。技術だけでなく芸術性や公共性までも問われる。

だからこそ、我々は「知らない」を体験する為に知らない土地に足を踏み込む。土地が違えば文化も異なり、汎用品が溢れる今日でも注意深く観察すれば昔の知恵やその土地の歴史が痕跡として垣間見える。普段でもアンテナを張り続けて己の無知を理解する。知らない事物は目の前にも広がっている。