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街歩きはアイデアの宝庫

散歩が好きでよく何の目的も無しに街歩きをしたりする。散歩している間は、どうしても何かを探そうとする癖がある。きっと学生の頃の教育のせいだろう。常にアンテナを張り巡らせて街歩きをして、気になったところを起点に思考を巡らせ、その街をより良くするためのアイデアをプレゼンテーションする。そこでフィードバックをもらい、また街を再訪しアイデアのブラッシュアップを行い、サイドプレゼンテーションを行う。そんな毎日を過ごした大学生活。それは社会人になって実務をしている今も効果的に作用している。…と思う。

道路の舗装や植栽帯、建築物、街並みの風景、至る所に違和感が散在している。それら違和感の構造を分析し、要素別に分解、そして別のアイデアへと再構成を図る。街歩きはアイデアの宝庫である。

普段歩かない場所に足を踏み出すと思い掛けない風景に出会う事がある。その違和感は、きっと自らの内に秘めた美的感覚なのだろう。それはきっと過去の経験により積み重なって生じている何かだ。それは「懐かしさ」でもある。それは「新鮮さ」でもある。「見慣れた風景」は未来にとっての「懐かしさ」になるかもしれない。そこに何度も再訪を繰り返すことの意味がある。

その土地にはその土地の歴史があり、積み重なったその歴史は、風土として痕跡を残す。東京には、様々な風土がひしめき合っている。都市計画区域として分割された各地域のエリアは、他の様々なエリアに痕跡を残しつつ、自らの土地の質を醸成する。各エリアは滑らかに他のエリアとつながり、緩やかなシークエンスをもって都市の一部を形成する。

渋谷と目黒とではその様相が大きく異なる。ただ、間に恵比寿というエリアがあるだけでその変容は緩やかなものとなる。恵比寿は渋谷と目黒の両方の風土を微かに残しつつ恵比寿特有の雰囲気をつくりだす。渋谷から恵比寿、目黒、そして白金。あるいは五反田。それらは緩やかな繋がりを持ちつつそれぞれの個性を浮き彫りにする。

さて、ではそれらのエリアの境界部分には何があるのだろうか。グラデーションのようなエリアとエリアの境界には、複数の色が混じり合った水彩のように様々な色が存在し違和感となって表出する。ただそれはスケールの大小による違和感でしかないと気づく。水彩画もスキャンして画像データ(ピクセル)に落とし込めば境界部分の隣接地との違いはその濃淡でしかない。当たり前の事だが、水彩画は水彩画として見ることに本来の価値がある。

我々は緩やかであることを好む。そして、急激な違和感に鈍感である。桜が咲く前には気温の変化がそれを教えてくれる。雨季の来訪はテレビやカレンダーが教えてくれる。ある街への到着にはランドマークや見慣れた風景がそれを教えてくれる。しかし、ある建物が解体された場合に気づかない場合もある。世の中がコロナ禍によりデジタルに移行していても気づかずに取り残されている人もいる。そう、人は予期しない違和感(変化)に鈍感なのである。

予期させないデザインで一つ思い浮かぶものがある。グーグルのストリートビューである。「瞬時に」行きたい土地に飛べるストリートビューは、土地の連続性(緩やかさ)を保持しつつ、モビリティの概念を破壊する。目的地についたはずなのに目的地までの過程が除外されたという身体感覚と目的地にいるという脳のちぐはぐが違和感を加速する。逆に、予期せずに知っている場所についた場合、知っているはずなのに知らない場所という不思議な感覚になることがある。

そんな事を考えながら、雨の降る今日は久しぶりにブログの執筆を楽しむ。風上側にある雲の隙間を見て午後の晴れを予期しつつ…パソコンを閉じるとしよう。

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