生きている限り常に時間と共にある。「時間」は意識するときもあればしないときもある。ただ「時間」を身近に感じる時、何かしら感情をも左右されている。その時間の移ろいの中で得る感情は、楽しさや苦しさだったり、また、癒しだったり焦りだったり、悲しみだったりする。

移ろいを感じる空間とはどういう空間だろう。あるいは何がある空間なのだろう。
太陽の動きによる陰影の動き、植物の成長、物の経年変化、あるいは変容、人の手が加わることの事象の変化、水の流れ、音の連続的変化、、、様々なものが考えられるが、一様に言うならば、「連続的であるもの」だろうか。
逆に、連続性の中にある停止した一点もそれに含まれるのか。例えば、写真や絵画、模型、彫刻など。きっと時系列は関係なく、「ある時間の共有」が私たちの心を揺さぶってくるのだろう。
境界、閾値、隔たり、間、何かと何かの間にはそれらが切り替わる線(あるいは面やヴォイド)みたいなものを表す言葉がある。それらは概念的なものであり、また物的な場合もある。

境界があることは重要だし、いかにその部分をグラデーションに彩ろうとも一線の概念は拭うことはできない。必ずどこかに閾が存在する。そして、その部分の移り変わりを意識した時、強く情動が作用される。
物語の展開、成長の実感、圧倒的な情景など、ある閾値を超えた事象は強い感動をもたらす。そして、中傷、迫害、差別などにおいては、憎しみや怒り、妬みとなり争いを引き起こす。
だからこそ、移ろいの瞬間を大切にしたい。あらゆる隔たりを無くしていきたい。まずは知ること、そして理解すること。空間の可能性を探りつつ、多くのことに目を配っていきたい。